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お盆前の8月11日に、
自分の所属する倉敷林支部の講習会が、 イトオテルミー副学院長伊藤康久先生をお迎えして開催された。 伊藤康久先生は、 イトオテルミー療法の創見者である伊藤金逸博士のお孫さんであり、 現会長の伊藤元明先生の弟でもある。 幼少時から、イトオテルミー療法創見者の伊藤金逸博士から薫陶を受けられていた。 今回の講習会では、 自分にとって新たなる転機となる教えをいただいた。 イトオテルミーとの出会いとなった故林ユキエ師匠への弟子入りが、 イトオテルミー療法の修行の始まりだ。 あれから、30年近くの月日が過ぎた。 まだ、自分も若く、 教えのすべてが、それまでの狭い常識を覆してくれた。 人生で最初の転機だ。 二回目の転機は、8年半前の母の死からだ。 K総合病院で診察をしていただいた時には、すでに手遅れだった。 それでも、まだあきらめず全力をつくしたつもりだったが、 あまりにも無力であり非力、母につらい思いをさせただけだった。 当時、年中無休で地域医療に情熱を燃やし、 民間療法にもご理解のあるT病院の物理療法室に、 週2日イトオテルミー療法で勤務させていただいていた。 T病院長に、 「イトオテルミー療法の卒業試験のつもりで頑張っています。」などと嘯いていた。 K総合病院では化学治療を拒否。 亡くなる数日前まで、激痛に苦しむ母への麻薬系鎮痛剤も拒んでいた。 助かる。助ける。と信じていたからだ。 母が亡くなった後、心のもって行き場がなくなり長文の手紙を母宛にしたため、 墓前で焼却した。 しかし、後悔と反省の日々が続いた。 「卒業試験どころか入学試験じゃないか。」 すべてやり直しだ、と思った。 心機一転する代償はあまりにも大きかった。 母の死から丁度1年後、 ようやく立ち直りかけてきた時に、 今度は、自分が非小細胞肺がん、しかも末期との診断を受けた。 余命半年、しばらくは頭の中が真っ白になった。 三回目の心機一転する時がきた。 自分が患者だ、今度は自分の命を懸けての、それこそ千載一遇の機会だ。 母の時の反省から、化学治療や放射線治療も積極的に受け入れることにした。 鎮痛剤の麻薬治療も激痛を忘れさせてくれた。 問題は副作用だが、これこそイトオテルミー療法の真骨頂だ。 33回の放射線治療、 現在63回の化学治療、 麻薬系鎮痛剤を常用して7年半。 余命半年から7年半の生存は、医療の力を中心に、 イトオテルミー療法を毎日欠かさずにできた事に他ならない。 長い年月にわたる卒業試験だが、 自分では自信もついてくるし、 すべてが順風だと、またもや驕りかけていた。 8月11日の伊藤康久先生の講義は、 とても大きな衝撃があった。 自分で勝手に、これがベストだと信じていたことが根底から崩れ去った。 「まさかとは思いますが、バーナーなどでイトオテルミー線を着火している方はいないでしょうね。」 自分におっしゃっている、と思った。 故林師匠が、 「がんには大量の輸熱が必要です。」とおっしゃっていたことを、 自分なりに解釈し、 数十本の残線を一時にバーナーで着火していたのだ。 「テルミー線は蝋燭で火をつけるから効くのです。」 蝋燭の火で燃やすから、言い換えれば、 蝋燭の火で燃やすように創られているのだ。 蝋燭以外、たとえばバーナーなどでは火力が強すぎて、 肝心の成分が破壊されてしまう、とのことだった。 そういえば、 故林師匠は大量輸熱の時も、 テルミー線を輪ゴムで括って蝋燭を使っておられた。 四回目の心機一転。 おそらくは、これが最後の機会だろう。 振り出しに戻り、もう一度総括。 やり直すことが出来る幸運に感謝したい。 ありがとうございます。 イトオテルミーは科学的だが、神秘的でもある。 自分は、そこが好きだ。 お盆には東京、横浜、徳島、ロンドンなどから、 幼馴染をはじめ学生時代の友人たちが、 見舞いに来てくれた。 楽しかった。最高だった。 同じ音楽を聴き、同じ映画を観て、 同じようなことで笑ったり、怒ったり、泣いたりしてきた仲間だ。 ありがとう。 最初に教えてくれたのはashura君だ。 ほかのこともね。 今やワインセラーをいくつも持っているHK君の好きな曲。 もちろん自分も。 「ありがとうございます。」 ブログ中に転載・リンクをさせていただいた皆様、ありがとうございます。 ご質問やご相談はメールで下記アドレスへお気軽に。 sarnokun@gmail.com sarnokunn@yahoo.co.jp
by sarno
| 2012-08-21 21:05
| イトオテルミー
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