風邪がほとんど抜けて、
喘息みたいな喉がごろごろぜいぜいというのも静かになってきました。
体が楽になってくると
健康のありがたみをひしひしと感じます。
髪の毛がばさばさ抜けてきていますが
そんなことは全く気にもなりません。
これで肺がんがなければ、というような贅沢は考えないことにします。
元気になってくると
「旬」という言葉が浮かんできました。
清水寺の「偽」に対抗しているわけではありません。
ず~っと思っていることですが
いつも
「旬」でいたいという思いがあります。
伊集院静の短編小説で「花盗人」というのがあります。
その中で主人公の花盗人の妙齢の女性が情人にたいして
「この男の旬はすぎたのかもしれない」
と ふと思うところがあります。
そのフレイズが強く印象に残っているのかもしれません。
「昔、素敵だったでしょう?」
「お若いころは美人でしたでしょうねえ」
「若いころはバリバリでした」
等々等、全部最低です。
すべては、今どうかです。
「旬」だよなあ。という人と出会うと嬉しくなります。
魅力を感じます。
こっちも元気がでます。
いつも「旬」でいたいな、と思います。夢ではなしに。