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自分が、がん患者になってわかった事も多いが、
その前からも、うすうすは予想していたことがある。 がんを宣告されて、 それが余命何ヶ月と言われても、 なかなか本人は、そう思えない。 何故だろうか? 多分だが、それまでの自分の人生で経験したことがない出来事、 すなわち、死んだ経験がないからだ。 切羽詰るまで、「死」という感覚が理解できない。 よっぽどの早期発見のがんや、 もしくは学問的に転移しにくいがん、 それ以外のがんは、ほとんどの場合、治ることはないというのに、 まずそのことを自覚できる方は、稀だ。 がん(癌・ガン)と宣告された段階で、 自分の生命を失う時限爆弾のスウィッチは押されているのだ。 一見、治ったかにみえても、 そのような甘い気持ちは、時とともに打ち砕かれることの、 何と多いことだろうか。 がん患者には、 がんとわかった段階から、 それこそ大量の整理不能な程の情報が押し寄せてくる。 親族、親戚からはじまり、友人、知人が、その情報を持ってきてくれる。 みんな、がんが不治の病であるという認識から、 本当に心配してくれてのことだ。 その中には、ネットワーク系のサプリなどで、 数十万円もするものや、 逆に非ネットワーク系の廉価なものもある。 いろいろな宗教的なものやコトもある。 ほとんど、すべての情報は、 「がんが治った、助かった」という、まことしやかな話しであるだけに、 がん患者本人には、とても取捨選択できるものではない。 医師に相談しようにも、 とても相談できるような情報の量ではないし、 医師にしても、 その情報を取捨選択する基準をお持ちではないのが現実だ。 そこで、とりあえずは、 強い関係の方の情報から、 まずは拾い上げてみようと考える。 そして、余裕があれば、次、次、次、と選択して試してみる。 ところが、悪くならなければOK、ということなので、 効果があるのか、ないのか、 患者本人では、全く判断がつかないのだ。 その大量の情報についてだが、 そのコストは別問題として、 まずまちがいなく、すべて効果はあると思う。 「がんが治った、助かった」というのも事実だろう。 ただし、それは全員ではなく、 百人にお一人かもしれないし、十数人かもしれない。 もしくは数十人単位?いや、それは医療以外では考えられない。 医療にしても、現代医療では、がんの根治は考えられない。 そんな大量の情報の洪水の中から、 イトオテルミー療法だけは、特別なのだ、 と言ったところで、認めてもらうのは、あまりにも難しい。 イトオテルミー療法との出会い。 それこそ、患者本人に関しては「運」と「勘」、 イトオテルミー療法では、最も大切にしている「ご縁」という他はない。 と、いささか投げやりに思えるかもしれないが、 そんなことはない。 イトオテルミー療法により 「治った、助かった」というステージに上がらなければいいのだ。 自分は、イトオテルミー療法によって、 生き延びていると思っているが、 同じ人間が二人以上存在しているわけではないので、 学問的には、その証明が困難だ。 しかし、今の段階で、はっきりと言えることはある。 前提条件>>>病名 肺腫瘍(非小細胞 肺がん) 第三段階B >>>入院当初の余命宣告 三ヶ月から半年 >>>放射線照射33回了 >>>約月に一度の抗がん剤投与48回了 すでに余命宣告を大幅にクリアして、4年4ヶ月を経過している。 腫瘍は、約三分の二に縮小したままであり、 転移も胸膜、肋骨にみられるが 、他へは、今の所、転移は見られない。 各腫瘍マーカーも動きは見られない。 ここからは、自分の推測部分だが、 イトオテルミー療法により、 抗がん剤の効果を著しく上昇させているのではないか。 各種サプリメントの効果を上昇させているのではないか。 これは推測ではなく、証明できる事実だが、 抗がん剤の副作用で低下した白血球数等を、 ごく短期間でもとの状態にしている。 また、他の副作用である、 嘔吐感や食慾不振にも改善効果を発揮、 身体面での衰弱を防ぎ、活力を生み出している。 自分は、体重66キロで入院し、 現在76キロになっている。 自己免疫力、自己治癒力の強化は間違いのないところだ。 そして、ここからは推測ではなく、想像の領域だ。 脳への転移を防ぐ抗がん剤はない、と前にも述べたが、 他の転移も含めて、がんは必ず転移するのが普通だ。 では、何故、自分には当初の所以外への転移が見られないのか。 否。実は転移しているのだ。 ただ、転移したがんが、そこへ着床しても、 一定以上の量にならなければわからないだけなのだ。 ここからが、自己治癒力の猛然たる働き。 リンパ球などが、着床したばかりのがんを発見して攻撃することにより、 がんは、あえなく脱落、または縮小(萎縮)していっているにちがいない。 今後の自分の大きな課題として、 がん患者の心理を考えた上で、 どうすれば、イトオテルミー療法を、 もっと多くの悩み苦しまれている患者さんに伝えていくか、 努力していきたいと思う。 素晴らしい家庭療法であるイトオテルミーは、 特に、がんの手術後、 退院してから、自宅での家族による施術が、もっとも合っているような気がする。 転移に怯える方を、まさに心身ともに癒し、 活力漲る生活へ戻してくれると確信している。 The Beatlesで、 「Across The Universe」。 Jai guru deva om 勝利あれ 導師 神霊 かくあれかしで Nothing's gonna change my world 自分の世界を変える事はできない http://www.youtube.com/watch?v=Rj-4t9drUlM&feature=related 「In My Life」。 http://www.youtube.com/watch?v=Ym0x3vTw6yc ▲
by sarno
| 2009-04-18 20:37
| イトオテルミー
4月から自宅での生活に、とりあえず戻り、
隔日だが病院で丸山ワクチンの注射を受けている。 しかし、明日16日は、久々に主治医とお会いする。 厳しく管理されている、痛み止めオキシコンチンという麻薬系の薬をいただくのと、 次回49回目の抗がん剤投与の日程を決めなくてはならない。 考えただけでも、気が滅入るが、 自分で勝手に予定している50回までは、 投与を受け入れる覚悟もできている。 ちょっと、溜息がでるのもいたしかたのないことだ。 先日、 一緒に必ず何らかの病気の話しを、 同じ病気の方たちに聞いていただく機会を設けよう、 と誓い合った同部屋だった同志が、またもや逝ってしまったようだ。 昨年暮れ、宇部の病院に行ったまま、帰らぬ人となった。 4月に退院の運びとなったことを伝えようと思ったのだが、 電話の返答は、持ち主がいない、ということで繋がらない。 彼は、自分の肺がんより、ひょっとしたらタチの悪い悪性中皮腫だった。 あのアスベストが原因の病気だ。 秋田の玉川温泉まで湯治に行ったり、 生きる意欲満々の方だったが・・・残念だ。 悪い時というか、嫌な時というか、 重なるもので、今日は友人と昼食の時、 どういうわけか、自分の舌を思い切り噛んでしまった。 口の中が、血まみれになりながらも、 食い意地がはっているのか、 痛い痛いと言いながら、とにかく全部たいらげたのだから、 自分ながら恐れ入る。 今も痛くてしょうがないのだが、とりあえず血は止まっている。 映画などで、舌を噛み切って自害するシーンがあるが、 とてもできるものではないな、と心底から思う。 話しは戻るが、 ここのところ、抗がん剤投与によるダメージが、 その積み重ねからか、やや大きくなってきているような気がしてならない。 嘔吐感とか、髪の毛が抜けてしまう、 そのことについては、慣れからか、たいして問題はない。 免疫面で大いに活躍する、 白血球数が投与により減少しすぎている、と思うのだ。 幸いに、イトオテルミー療法の効果もあり、 その復元も早いのだが、 問題は、その減少している間の僅かな隙なのだ。 自分は医師ではないが、 首から上の部分に効果のある、抗がん剤はないと聞いている。 肺がんの転移で、 一番多いのは、脊椎、 そして脳である。 脳への転移を防ぐ抗がん剤がない、とするならば、 転移を防いでいるのは、 自分の免疫の力だけだ。 この病気での隙は、あの世へ直行する道をつくることになる。 通常の話しだが、 月に約一度、抗がん剤の毎月連続投与で48回というのは、 おそらくは、他にいらっしゃらないと思う。 自己免疫力の低下から、抗がん剤を投与できなくなるのだ。 4月の、とりあずの退院は、 まだ、未経験の治療へ挑戦するために与えられた、 作戦立案の時でもある。 小休止して、検査等問題がないとすれば、 抗がん剤の投与も、 できるだけ、ダメージが少なくすむところまで、 延期できれば、と相談するつもりだ。 同志たちは、次々に逝ってしまったが、 気合は通じないと分かっていても、 やはり気合だ。 おっさんは元気だ! Mitch Ryderで、 「Devil with the blue doress」。 昔、ミッチー・ライダーとデトロイトホイールス。 「悪魔とモリー」だったと思う。 http://www.youtube.com/watch?v=_dd9qjHUyHQ&feature=related もう一曲。 KC&The Bandで、 「That’s the way i like it」。 KCサンシャインバンドだ。 http://www.youtube.com/watch?v=-zu0p7xWLoU&feature=related ▲
by sarno
| 2009-04-16 00:47
| 入院生活
パソコンに詳しい友人から、
「今、ブログと言って日記を公開するのが人気なんだ」 とお聞きしたのが、5年ぐらい前のことだ。 何で日記なんか公開するんだろう? とお聞きした当初は、全く興味を持たなかった。 その後、入院することになり、 余命何ヶ月と宣告されながらも、 予定より長生きをするにしたがって、 周りの方から、「何か書け。」と勧められだした。 ところが、それまで文章と縁が遠く、 書こうと思っても何も書けない。 そんな時、長男が帰省したついでに mixiとエキサイトブログの段取りをしてくれた。 長男も次男も、すでにブログを書いていた。 見ると簡単そうではあるし、 とにかく文章力の鍛錬にもなると思い、ブログを始めることにした。 早い物で、一年と数ヶ月前のことだ。 始めると同時に、友人たちが協力してくれた。 日記自体、続けていくのは初めてのことだ。 一人で、こつこつノートに綴っていたのでは、 性格的に無理で、とても今までやってこれなかっただろう。 おかげ様で、見ず知らずの方との交流も始まった。 こうして、日記をブログとして書いていると、 自分自身、勇気も湧いてくるし、 ありがたいことに、随分と励まされている。 絶望から希望へ。 とても、あの世へ逝く気がしなくなってくるから不思議だ。 日記と言えば、 高名な料理評論家で料理教室でも知られている方が、 10年日記を推奨されていた。 友人知人、もちろん家族、親戚まで、 冠婚葬祭から、お誕生日、入退院、入学卒業、等々を 簡単にこと細かく日記に記録することを習慣にされているそうだ。 そして、翌年から、その日記を見て、 お電話をされたり、 お手紙を出されたり、 訪問をされたりして、コミュニケーションを深め、 そして、それをまた日記に記録していく。 それは、翌年も、また翌年も、そしてその翌年もと繰り返されてきた。 その方は、若くして人間がつくっている社会、 人脈が最も大きな財産となることを喝破していたのだろう。 たとえ電話一本でも、葉書一枚でも、 自分のことを覚えていて頂いて、気を悪くする方はいない。 それで、自分も10年日記をつける事にしたのだが、 これが全然続かない。 結局、かかわる人について、関係について、 不誠実なのだと猛省する次第だ。 それを続けてこられたということ一つとっても、 その方が、人や関係について、 いかに誠実な方なのか、ということがよくわかる。 思い立ったが吉日だ。 もう一度、10年日記にもチャレンジしてみようと思う。 日記は書いていなかったが、 記憶として感覚的に記されたものはある。 友人のashuraさんが大学に入った頃に見せてくれたアルバムで、 ニッティ・グリティ・ダートバンドの 「アンクルチャーリーと愛犬テディ」だ。 まずはアルバム名も意匠も新鮮だった。 そこらあたりから、 カントリーも好きなフリをしているうちに、 本当に好きになっていったような気がする。 何故なら、そのあと妙に燃え上がり、 同じニッティ・グリティ・ダートバンドの 名盤「永遠の絆」を、彼に先がけて手に入れたからだ。 三枚組みで高価だった。 それが聴いてみると、 ドカントリーというかドウエスタン、 ブルーグラスがほとんどのアルバムだった。 それでも、無理をして聴いているうちに、 本当に好きになっていく。面白いものだ。 ニッティ・グリティ・ダートバンドで、 「ミスター・ボージャングルス」。 熊本阿蘇のカントリーゴールドでの演奏だ。 ご無沙汰しているが、 主催者のチャーリー永谷さんはお元気だろうか。 彼は、来場者全員と握手をしに会場をまわっていた。 すごい人だ。 曲はジェリー・ジェフ・ウォーカーの曲だが ディランやサミー・ディビス・ジュニアでも有名だ。 http://www.youtube.com/watch?v=6MQYn-GvGOM&feature=related ミスター・ボージャングルスは 留置場で隣になったボードビリアンを題材にした曲だが、 実在のボージャングルスもいた。 サミーディビス・ジュニアのタップの師、ビル・ロビンソン(プロレスラーではない)だ。 最期は極貧の中、亡くなったらしいが、 エド・サリバンがポケットマネーで葬儀の費用を出したとか、 50万人が見送ったと言われている。 スターだったころには、 白人客の多かった「コットンクラブ」でも 彼だけはVIP待遇で迎えられたという。 映画「コットンクラブ」のワンシーンから。 http://www.youtube.com/watch?v=XFlRtCh3QD0 ▲
by sarno
| 2009-04-10 13:33
| 日々雑感
自分が、
だいたい月に一度の抗がん剤投与(化学療法)を、 4年4ヶ月にわたり、 48回も受けていながら言うのもおかしいが、 がんに対する特効薬はないと思っている。 それが証拠に、 自分の肺がんは入院当初の3分の2の大きさになったものの、 転移している箇所も含めて、 検査では、はっきりと写しだされている。 ただし、 抗がん剤治療とイトオテルミー療法、 丸山ワクチン投与を同時に始めたのだが、 血液検査による腫瘍マーカーの数値は、 ずっと正常値を保っている。 あまり考えられないことだ。 通常、 小細胞肺がんの場合は抗がん剤もよく効くことが多いが、 自分の非小細胞肺がんでは、 あまり効果は期待できないと聞いているからだ。 土佐清水病院の丹羽耕三博士によると、 「・・・略・・・抗がん剤でがんは治ると信じたい気持は分かります。 しかし、最初に言ったがん以外は、ほとんど治らないんです。 がんと人間を比べると、がんの方が絶対的に強いのです。 がんを殺すために抗がん剤を使う。 確かにがんは小さくなる。 しかし、抗がん剤はがんを殺すのと同時に人間の正常な細胞も叩きます。 がんがゼロになる前に人間のほうが死んでしまうわけです。 そのうえ抗がん剤には副作用がある。 ・・・略・・・」 この考え方は、医療の現場において、 おそらく常識ではないだろうか。 早めに手術をすれば、 解剖学的に転移しないと言われているがんもある。 しかし、それでも10人中3人ぐらいは手遅れになる。 そうすると転移してしまい、 他のがんと同じことになってしまう。 岡山の◎村◎心堂病院に、ドーム様で身体を熱で温める装置がある。 ハイパーサーミアと言うそうだ。 病院の説明によると、 温熱刺激により、 抗がん剤の効果が約3倍になるそうだ。 逆に、副作用が強い患者であれば、 抗がん剤の量を3分の1にできるということだ。 額面通りとすれば、まことに結構な話だが、 噂では、とにかく熱いらしい。 そうとうの我慢がいるそうだ。 自分が、肺がんになり、 イトオテルミー療法をしていて最も着目したのは、まず、そこだった。 その上に、イトオテルミー療法は、 我慢どころか気持が良いわけだから、 何故、みんながイトオテルミー療法に飛びつかないのか、不思議だ。 もっとも、イトオテルミー療法の本部が、 療術の禁忌としていることもあるかもしれない。 がんの中には出血の危険があるものも多い。 突然出血したり、 また、出血が止まらなくなったりした場合、 イトオテルミーでは対処することが難しい、 というのも禁忌の理由だろう。 それこそ生命に関る問題となる。 また、病院内では、酸素などに引火する危険性もある。 噂も怖い。 温熱療法で血行を良くしたために、 がんが全身に早く転移した、と言われかねない。 自分の考えだが、 血液はどちらにしても、 ものすごいスピードでまわっているのだから、同じことだと思う。 そして、これが禁忌とされている最大の理由だと思うが、 抗がん剤を投与しても無駄だとの思い込みによる、 医療を受ける機会損失だ。 抗がん剤は、丹羽博士もおっしゃている通り、 がんを小さくする効果はある。 ただし、がんを殺すと同時に正常な細胞も叩いてしまう。 イトオテルミー療法は、そこでも効果を発揮する。 自己治癒力を、その温熱刺激効果により強化するからだ。 自分の場合だが、 イトオテルミー療法によって、 抗がん剤の効果を数倍高め、 副作用を著しく軽減し、 自己治癒力を高めることにより、 がんの増殖、転移を防御しているのだ、 と思っている。 現在、保険が効かないがんの先端医療で、 リンパ球治療がある。 がん患者本人のリンパ球を取り出し、 数千倍に培養後、また本人の体内に戻すというものだ。 本人のリンパ球で、がんを攻撃するのだ。 自分の場合、 イトオテルミー療法による、 自己治癒力の強化の上で、 すでにリンパ球に関しては、数値で実証できているのも心強いことだ。 ただイトオテルミー療法で、 リンパ球を数千倍のレベルまであげるのは難しいかもしれない。 しかし、 人間の身体はあくまでバランスであると考えた場合、 そう、 病気はバランスが崩れた状態であると考えた場合、 イトオテルミーの温熱効果はバランスを整える様に作用する。 リンパ球だけではなく、ホルモン分泌をはじめ、 様々な方向から身体を最善の状態に導くように作用するのだ。 自己治癒力の強化こそ、すべての鍵を握っているにちがいない。 今日は、夜をのんびり楽しみたい。 長い曲で恐縮だが、くつろぎの一曲だ。 Jim Hall アランフェス協奏曲。 チェット・ベイカーのペットの音色が好きだ。 http://www.youtube.com/watch?v=MQoLiAOX4XU http://www.youtube.com/watch?v=ULIiXbY8tos&feature=related ▲
by sarno
| 2009-04-06 20:14
| イトオテルミー
ついに、その時が来た、という感じだ。
4月1日に、とりあえずだが退院した。 何と丸4年と4ヶ月の入院生活だった。 入院時の診断では、進行性の肺腫瘍で転移もしており、 第三段階B、3ヶ月から半年の命と宣告された。 手術は不能で、早速の抗がん剤投与と放射線照射が始められた。 独自に、丸山ワクチンを家族に手配してもらい、注射のみ病院へ依頼、 イトオテルミー療法も、周囲の方の協力で同時に始めた。 いつ逝くかわからない、 今日か明日か、などと言いながら、 正直、こんなに長生きできるとは思わなかった。 あと一月、あと一月、あと一月、で結局4年と4ヶ月も入院していたことになる。 ながい入院生活で、だいたい肺がん患者の亡くなり方はわかっている。 同志のように仲良くしていたが、 ほとんどの方が先に逝ってしまった。 一番多いのは、 じりじりと衰弱していき、微熱をはじめ熱が下がらなくなってくる。 肺炎を併発し、治療しても効果が出ないまま、潮がひく様に逝かれる。 次が転移からで、 脳に転移すれば、まるでわけがわからなくなり、 脊椎に転移すれば、歩行をはじめ運動能力がなくなり、 そのうち、衰弱して、やはり潮がひく様に逝かれる。 そして、これが一番ぞっとするのだが、 それまで元気にしていた方が、 ある日突然に、呼吸困難となり、意識不明のまま逝かれる。 肺の壁が突然崩れて、大きな穴が空いてしまうのだろうか、 酸素吸入をされて、そのまんまだ。 自分も元気だけはあったので、 逝くとしたら、多分これだな、と思っていた。 退院はしたのだが、 肺がんをはじめ、転移している場所も大きさも、 肺がんこそ三分の二ほどに縮小しているが、 ほとんど変化はない。 癌の場合、増殖や転移がなければ御の字だと思う。 今まで生きてきて、 あまりにも多くの方が、癌の手術や治療後に退院し、 喜ばれた挙句に、 しばらくして再入院、帰らぬ人になってしまったのを見すぎている。 とりあえずの退院は、 「罠」とまで言わないが、 やり残していることを、やらなければならない時間のプレゼントだろう。 とても仲の良い僧籍の友人がいる。 「それをするために生かされているんだよ。」 とても仲の良い親身の友人がいる。 「バンドやろう。」 「同窓会だ。」 離れ離れになっている家族がいる。親族もいる。 「こうしよう、ああしよう、こうしろ、ああしろ。」 多くのイトオテルミーの仲間、師、先輩がいる。 応援してくれている仲間、師、先輩がいる。 全力で助けていただいている病院の皆様がいる。 入院しているのにも関らず、ご厚情いただいているお客様や取引先の方々もいる。 心から御礼を申し上げたい。 ありがとうございます。 「天命だ。」 癌とともに生活する。 一人でも多くの癌患者の方とお話をする。 自己治癒力に効果のあるイトオテルミー療法と生きる。 できるだろうか? というより、やらなくてはいけない。 Yes I Can. 1964年にサム・クックは 黒人による初めてと言ってもいい、黒人社会のメッセージソングをつくった。 '63年のディラン「風に吹かれて」を聴き、 「本当に白人のガキがつくったのか?」と驚いたからだという。 A Change Is Gonna Come (必ずや)変革は訪れる そして、2008年、 サム・クックと同じシカゴで、 2009年1月に大統領となるオバマ氏は、勝利宣言演説を行った。 Change Has Come To America (今)変革は訪れた オバマ氏は、そこでブラックヒストリーを知る106歳の女性の話をした。 「なぜならアメリカに106年間住み、 最良の時も、最悪の時も、経験した上で、彼女は知っているからだ。 そうアメリカは変わることが出来る、と。」 「我々には出来る。」 She know how America can change. Yes we can. そうだ。我々には出来る。 Yes I Can. 自分にも出来る。 Sam Cookeで 「A Cnange Is Gonna Come」。 http://www.youtube.com/watch?v=Si8p2NSfrSo&feature=related Wes Montgomeryで ビートルズの曲だが、 「A Day In The Life」。 http://www.youtube.com/watch?v=_ooeMXnPuIg&feature=related ▲
by sarno
| 2009-04-02 20:01
| 入院生活
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